さよならさんかくまたきてしかく

うすらぼんやりいきてる

死にたい気持ちが心臓からじわじわ頭の先や足の爪先まで全身に染み出して、もう自分が生きている理由のほうが死ぬ理由よりよっぽど少ないことは分かりきっている。死ぬことすら上手にできない自分はどこに行けばいいのだろうと思う。

 

仕事だって病気がばれてからはまともな事はさせてもらえなくなって、いよいよ死ぬしかない。病気中もばれるまで普通にしていたことさえやらせてもらえないので、周りからの目がつらい。

 

常になにかに責められているような感じやら、ジリジリとした焦燥感に焼かれてる感じやら、正体が霧がかっている不安感やらがなくなる日は来るのだろうか。

 

今日もしんどいね、ハム太郎

 

あたし、〇〇の、どこにいるか、ごぞんじですか?

今日は仕事を休んでしまった。鬱は甘えではないけど、病気に甘えている自分がいる気がする。反吐が出そうな気持ち。明日はいけますように。

                  ◆

みんなの世界に私はいないっていうひとりぼっちがどんどん胸にせり上がって喉に引っかかってつらい。その引っ掛かりは魚の骨と違ってご飯を飲み込んでも大して解決しない。

                  ◆

仕事でも、もはや完全に給料泥棒の厄介者だけど、仕事を辞めたら行き場が本当にない。仕事が嫌な理由が自分にあるからどうしようもない。アルバイトになったって自分の至らなさや健常じゃなさを目の当たりにすることでつらくなるにきまってるし、職を失った私を受け入れてくれる場所はどこにもない。

                  ◆

なんだかブログを書いてたらつらくなってきたのでやめようと思う。

                  ◆

明日はきっともっといいことあるよね、ハム太郎

不安感に満ち満ちている時のあの喉奥から何かがせり上がってくるような、心臓が圧迫されるようなざわざわする感覚は何なんだろう。

そんな時、大概脳みそは素知らぬ顔をしている。

だから心って脳みそにあるはずなのに心臓が心のシンボルになってるんだろうな。

って今更ながら改めて思った。

 

 

昨日私はクラブという場所に初めて行きました。

みんながズンドコズンドコしている中、私は学校祭のお祭り騒ぎについていけなかったあの時の感覚に陥りました。

もう二度と行きたくありません。

ただ、光がスモークを通して光るさまはとてもきれいだったので、誰もいないときに一人ぽっちで行きたいなあと思いました。

 

追伸…トイレの手を洗う場所のシステムが謎かったです

薬を飲まないと眠るのも、かと言って起きて行動することも、息を吸うのも上手にできないわたし達が生きていく理由を見つけるのはとても困難だ。

 

薬を飲んだからといって上手にできるわけではなくて「上手にできない」が少しマシになる程度。

 

生きるのって難しい。

 

私は面倒臭がりだから、能動的には死ねないけれどやっぱり死にたい。

死ぬ勇気があるなら生きろって高校生時代同級生だったあのこが呟いたtweetを見たとき、生きる勇気の方が死ぬことの勇気(または生きる理由)なんかよりずっと必要なんだって思って、やっぱり私はみんなと良くない意味でずれてて頭がおかしいんだろうと思った。