さよならさんかくまたきてしかく

うすらぼんやりいきてる

ヘイ!!say!!!!それぞれのさいごのなつ

例えば扇風機が狭いアパートの生温かい湿気のこもった空気を緩く掻き混ぜるそのテーブルの上の麦茶の入ったコップの周りは結露していてそこだけ涼しさを放っている

 

例えば早起きしてラジオ体操のカードをスタンプでいっぱいにする小学生の首からぶら下げたカードはラジオから流れる声と一緒に動かされるからだにあわせて跳ねて楽しげにしている

 

例えば手持ち花火でアスファルトを焼いて遊ぶ子供の親はビールを片手にそれを眺める

 

例えば平成と心中しようと思いつく馬鹿な女

 

例えばそんな平成最後の夏に肝試しで墓地を巡る青春をうらやましげに眺める地面の中に埋まった後の私の残骸

 

夏は最後だけど平成は来年も少しだけ生き続けるらしい。

星シールとだめじるしシール

「たいせつなきみ」って絵本を読んだことがある人~!はーい!

何が言いたいかっていうと、その絵本の中の星シールを物心ついてからいつも私は求めていた。

絵本の中で、最後主人公のパンチネロは星シールなんてもらえなくても自分はたいせつな存在なんだって感じて終わる。

でも、私はそうやって終わることができなくてずっと馬鹿みたいにもらえるはずのない星シールを誰かにもらえるのをずっと待ってた。待っている。

社会人として職場に採用されたとき、私は星シールをはじめてもらえた気になった。

月々手取り1●万円の価値をわかりやすくつけてもらえた。本当に嬉しかった。

働き始めたらそこは大変に忙しい職場で、でもはじめて星シールをくれた人たちのやくにたってる!って思うと、まあ面倒くさいと思った仕事がなかったて言ったらうそになるけどすごくうれしかったしやりがいも感じた。

元々あこがれていた仕事だったし、必要としてもらうことが仕事のような職業だった。

星シールが欲しい私には天職のような仕事だとさえ思った。

けど、結局働いていくうちに灰色のだめじるしシールだらけになってしまった。

どうしたって落第な私だから当然なんだけどね。

人から貼られて、自分でだって貼って、全身がどんどん灰色になるたびにとってもつらい気持ちになった。

落としどころが見つからないや、明日はもっと素敵な一日になるといいね、ハム太郎

まわってまわってぐるぐるまわって

結局、幸せに生きるためにはどうしたって不幸なまま死なないことが必要だ。生きていても、不幸なまま死んでしまうことを先延ばしにして延命しただけの結果に終わる可能性の方がおおいにあるんだけど。

 

 

 

つまっちゃったところ絶望的だよ。


私の求めていることは幸せに生きていくことで、それが叶わない現実や叶えられない自分自身に草臥れて死ぬことに救いを見出している。求めているものと正反対なのに。

 

 

死んだところで果たして私はまっさらになれるんだろうか。

 

色んなものに縋りついても、本当の意味で私を救ってくれるようなそんな都合の良いものなんてこの世には存在してなくて、草臥れる原因そのものな自分自身には到底期待出来なくて、じゃあ不幸の体積がこれ以上かさばらないうちに終わらせようって思うんだけど死んだらまっさらになれる保証なんてなにもない。けど、延命へみられる望みはないよね!

 

だからさぁ、ずるずるタイミングを逃して延命している現状、救いがなさすぎでは????????って感じなんだけど。

 

 

どうしようもねぇ〜〜!!!!!!!!

 

 

どこかで折り合いをつけられたらいいね、ハム太郎

私は小さな頃、年齢を重ねたら誰だって普通に大人になれると思っていた。けどそれは大間違いで私は小さい頃に当たり前になれると想像していた「大人」にはなれなかった。

 

大概の人が問題にぶつかりながらも成長して大人になっていけているなか、私は問題だらけの自分自身を持て余して薄らぼんやり立ち尽くしたまま身体ばっかり肥大して年老いていくだけだ。そんな私が社会に迎合されるわけがない。

 

その上自分可愛さは人一倍以上にあるくせに、だからこそそんな自分自身を肯定できない。

 

過ぎた願いかもしれないけど当たり前のことを当たり前にできるようになりたいなって思うよ。ハム太郎